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山下JOC会長 「幻の代表」を東京五輪招待 モスクワ五輪代表の悲哀 

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山下泰裕JOC会長は、日本がボイコットした1980年のモスクワオリンピックの代表選手を東京オリンピックの試合などに招待する計画を進めていることを発表しました。

 

「幻の代表」とはどういうことか、モスクワオリンピックのボイコットの理由などについて調べてみました。

 

 

山下JOC会長 「幻の代表」を東京五輪招待

 

記事によると、

 

日本オリンピック委員会(JOC)の山下泰裕会長は27日、日本記者クラブで記者会見し、東西冷戦下に日本がボイコットした1980年モスクワ五輪の「幻の代表」を東京五輪の試合や日本選手団の結団式に招待する計画を大会組織委員会と共に進めていることを明らかにした。

東京五輪で日本選手団が着用する公式ウエアの提供も考えているという。既に聖火リレーや開会式への参加などが検討され、JOCは12月に当時の選手が一堂に会する「集いの会」を開く予定。

五輪・パラリンピック後にメダリストの合同でのパレードと、スポンサー向けの「感謝の集い」を開く方針も示した。

共同通信

 

 

栄誉あるオリンピックの代表に選ばれながら、政治のために参加できなかったモスクワオリンピックの代表選手たち。

 

当時、何があったのでしょう。

 

 

「幻の代表」 モスクワ五輪ボイコットの理由

 

1980年、この年は旧ソビエト連邦(現ロシア連邦)で第22回夏季オリンピック大会が行われました。

 

しかし、この大会にアメリカや日本は参加していません。

 

 

これは、前年に起きたソビエト連邦によるアフガニスタンへの侵攻を理由に当時のアメリカ・カーター大統領が”五輪ボイコット”を提唱し、日本政府にもそれを迫ったためです。

 

政府は2月に不参加の方針を決定。JOCは「なんとか参加できる道はないか」と模索したが、世界の動向、国内の諸事情からみれば「不参加」以外の道はなかった。

「やっぱりダメでしたか…。ボクも日本人ですから従わざるを得ません」。多くの報道陣の前で柔道の山下泰裕(当時、東海大大学院)は、ガックリと肩を落とした。

産経WEST

日本オリンピック委員会の臨時総会での決定です。

 

山下JOC会長はモスクワオリンピックの「幻の代表」の当事者でもありました。

 

日本はボイコットを決めましたが、一方で英国やイタリアは政府が反対しながらも参加を決めていました。

 

この理由についてはこう述べています。

 「JOCは独立団体-といっても、現実は体協(日本体育協会)を通じ、政府から巨額の補助金でアマスポーツは成り立っている。昭和55年度予算約42億円のうち16億円近いお金が補助金として出ているんだ。英国やイタリアのように競技団体やスポーツ団体独自で予算を持っているのとは事情が違うんだよ。それに大平首相が米国や西ドイツで不参加を約束したことも大きく影響したと思う」

産経WEST

 

さらに、 総会に先立って開かれた日本体育協会の臨時理事会では“政府代表”として会議に出席していた伊東正義官房長官がこのように発言しています。

 

「政府としては参加に反対であり、アフガニスタンのソ連撤兵がない限りこの方針は変わらない。たとえ少数精鋭でも参加は好ましくない」と強い反対意見を表明した。不参加に反対票を投じる競技団体へは「今後の支援は微妙」という圧力までかけられていた-ともいわれている。

産経WEST

自分たちが参加することで、その後の競技団体への支援が打ち切られるかもしれない。

 

その思いはいかばかりだったでしょう。

 

競技生活を始めてから、ずっと目標にしていたオリンピック。

 

おそらく多くの選手たちはそれまでの4年間を歯を食いしばり努力してきたはずです。

 

40年前の日本のアマチュアスポーツは、現在のそれよりも制約の多い環境だったのです。

 

「幻の代表」 18競技178人

 

モスクワ五輪は、スポーツが政治に屈した歴史です。

当時は東西冷戦。

ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議する米国がボイコットを表明し、西側諸国に同調を訴え、日本政府の圧力を受けた日本オリンピック委員会は苦渋の決断を強いられ、米国に追随しました。

 

代表に選ばれながら舞台を奪われた選手が、18競技で178人いました。

 

「幻の代表」選手たちに行ったアンケートでは以下のような意見が寄せられています。

 

「競技の場に立たなければ敗北です」(ヨット)

「選手の4年間を国はどう考えるのか?」(射撃)

「社会人後は国際大会の出場は一切断った」(ボクシング)

「オリンピックを目標に費やした時間や犠牲にしたものが大きく、その後も競技を続けたが、記録や勝負にこだわる意欲がわいてこなかった」(水泳)

朝日新聞デジタル

 

忸怩たる思いを抱えて、その後の人生を送っていることが分かります。

 

そして、その悲劇はこの4年後も繰り返されます。

 

1984年に開催されたロサンゼルスオリンピックではその報復として(表向きはアメリカ軍のグレナダ侵攻に対する抗議)ソビエト連邦をはじめとする東側諸国が参加を見合わせました。

 

スポーツと平和の祭典も何度も政治に翻弄されてきたのです。

 

山下JOC会長 「幻の代表」を東京五輪招待 

 

そんな過去に思いを寄せての、今回の「幻の代表」選手たちの東京オリンピックへの招待。

 

山下会長自身も当事者であり、当時の悔しい想いは常に心の片隅にあったでしょう。

 

モスクワが唯一の代表選出となった選手は104人です。

 

当事者である元選手たちが、わだかまりなく笑顔で参加できるステージであることを祈ります。

 

 

山下JOC会長 「幻の代表」を東京五輪招待 世間の声

 

このニュースにネットでは以下のような声が寄せられています。

 

 

「私の知り合いも幻の代表だったので、こうゆう機会に参加出来たら、当時苦しい練習に堪えて頑張ってたことが、少しでも報われるんじゃないかなぁと思ってしまいます。 」

 

「 政治情勢で涙した人を救済してあげることにつながる良い取り組みだと思う。 」

 

「モスクワ五輪ボイコットが決まったときに山下泰裕が人前で涙を流す姿は見るに堪えなかった。五輪と何の関係もない中学生の自分ですらつらかったが、ましてや五輪を目標に努力を重ねてきた選手らの絶望感たるや想像を絶するものがある。

日本がモスクワ五輪に参加していたら、長崎宏子や瀬古利彦はほぼ確実に金メダルを獲得していただろう。しかし、モスクワ五輪の幻の日本代表選手のうち、ロス五輪で金メダルを獲得したのは山下泰裕だけだった。

もう40年もの歳月が流れてしまったが、幻の日本代表選手が受けた心の傷を少しでも癒すことができるのなら、東京五輪への招待の計画は英断だと思う。」

 

40年前のニュースを知っている人には感慨深いものがありますね。

当時の彼らの涙を二度と見ることのないよう祈ります。

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